日本の広島原爆投下から74年 鎮魂の祈り
広島は8月6日、74回目の原爆の日を迎えた。広島市中区の平和記念公園には、早朝から被爆者や原爆で亡くなった人の遺族などが訪れ、鎮魂の祈りをささげた。
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原爆ドーム(広島県物産陳列館)は、世界で初めての原爆投下を象徴する、被爆建築物となっている。この建物は被爆前、ドーム部分には銅板が貼られ、白壁に映える美しい緑青を帯びていたという。
原爆の高熱により屋根部分は溶けた。建物の構造は吹き抜けで、爆心地から160メートルの近距離で被爆したが、大きな窓が多かったことから、骨組みやレンガ造りの建築の多くは残った。
広島市によると、広島県物産陳列館はチェコ人のヤン・レツルの設計により、大正4年(1915年)4月に竣工した。日露戦争を契機に大量の軍需品の調達から、広島の経済は活況を迎え、同館は製品の開発、品質向上、販路拡大等を図るための拠点としての役割を担っていたという。
650坪の陳列場、さらに約500~600坪もの庭園も設けられ、洋式庭園には噴水のある池、日本庭園には四阿(あずまや)が作られていた。
ヨーロッパ風の建築デザインによる建物は珍しく、川面に映える姿の美しさも加わり、広島名所の一つとなっていた。昭和20年(1945)8月6日、米軍による原爆投下の後、その象徴的な姿から、市民は物産陳列館をいつしか原爆ドームと呼ぶようになった。
およそ100年あまり前に建造され、いまもなお保管されている緑青のドームにレンガおよび石造りの歴史建造物には、東京復活大聖堂教会(ニコライ堂、1891年)や、東京国立博物館の表慶館(1909年)などがある。
原爆ドームは1995年、ユネスコ世界遺産に登録された。この被爆建物の保存には、核兵器による破壊の悲惨さ、警鐘といったメッセージ性のある遺産として、保存に際しては「可能な限り、破壊された当時の状態を保つ」という特殊性がある。
原爆死没者名簿には31万9186人が記録されている。原爆投下直後に十数万人の命が失われた。投下と同じ時刻に、遺族代表らが「平和の鐘」を打ち鳴らし、1分間の黙とうがささげられた。
松井一実市長は平和宣言で、世界の政治指導者に対し「核兵器のない世界への一里塚となる核兵器禁止条約の発効を求める社会の思いに応えてもらいたい」と要請した。
安倍首相はあいさつのなかで「犠牲となられた数多くの方々の御霊に対し、哀悼の誠をささげる。唯一の戦争被爆国として、『核兵器のない世界』の実現に向けた努力をたゆまず続ける。令和の時代においても、変わらない我が国の使命」と述べた。
(大紀元:佐渡道世)
ソース: https://www.epochtimes.jp/p/2019/08/45636.html
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