また、世界50ヶ国以上で「働きがいのある会社」ランキングを発表している世界最大級の調査研究機関Great Place to Work社により、2016年度「ブラジルにおける働きがいのある会社」大企業部門8位に選ばれ、名実共にブラジルに根ざした日本企業として大きな発展を遂げている。
しかし、今日に至る道のりは決して平坦なものではなかった。
東京海上がブラジルで産声を上げたのは今から57年前、1959年に遡る。
英国Yorkshire保険会社の代理店として、リオデジャネイロ、そしてサンパウロの同社支店内にスペースを借り受け、ブラジルにおける事業を開始した。
当時は進出日系企業の数も限られており日系ビジネスだけでは食べていけないことから、日本と異なる商慣習に苦労しながらも日系以外のお客様との取引も少しずつ増やしていった。
その後 1969年には東京海上ブラジル支店として自前の営業を開始、1972年には、19世紀末創業と古い歴史のあったVarejista社を買収した。そして翌年両社を統合してアメリカラチーナ社を設立、現地法人としての営業を開始し、今日に至る保険会社の礎となった。
それでもまだよちよち歩きであった黎明期の東京海上であり、その後の発展は日系移民のブローカーの方の多大なサポート、また日系移民・ブラジル人の社員の献身的な貢献無しには成し遂げられる物ではなかった。
一方、その間1972年には、本店機能を移転したばかりの当時の超高層建築であったアンドラウスビルで大火災が発生し、殆どの従業員が屋上からヘリコプターで脱出して九死に一生を得るという事件が起きた。
しかしながら、恋人を助けにビル内に戻った1名の従業員は残念ながら命を落すという痛ましい最期となった。
アメリカラチーナ社設立後、1979年にはTreze de Maio本社ビルを建設し、80年代半ばから 90年代初めにかけてのハイパーインフレの時代も何とか乗り越えてきた。が、一方で銀行系保険会社が大きな力を持つブラジル保険市場での単独での成長に限界も見え始めた。
そこでブラジルでの更なる成長を図るため、2005年にはReal銀行(当時)の保険子会社であり業界大手の一角を占めていたReal Seguros社を買収、現在のブラジル東京海上の事業基盤が作られた。
買収後、事業は順調に進むかに見えた。しかしながら、旧アメリカラチーナ社と Real Seguros社の社風の違い、買収時には想定していなかった様々な事象の発生により、両社の統合は困難を極めた。
数年に亘る赤字決算も余儀なくされ、サッカーのワールドカップやリオ五輪の開催が決まるなどブラジル経済が絶頂期であった2000年代後半から末にかけ、成長を犠牲にして基盤整備を最優先するという厳しい決断を迫られることとなった。
その間、コスト削減のための従業員解雇だけは最後まで行わなかった。これは、人財が最も大切な財産であるという東京海上の価値観である。
この方針が全ての社員に受け入れられた訳ではない。去る者も出た。しかし、この新しいブラジル東京海上を創るという航海の先にあるもの、この苦難の荒波の向こう側にあるものを皆が共有し、その目的に向かって志を一つにして一つ一つハードルを乗り越えていくという途方も無いチャレンジに、残った全社員が臨んだ。
2012年、ようやく準備は整った。数年に亘る試練の期間を経て、蓄えてきたエネルギーを成長へのチャレンジに向けて掲げるときが来た。
2013年には社長のポジションを日本人駐在員からブラジル人へ移譲し経営のローカル化を一段と推進、同年には2社の法的合併も完了した。業績は順調に回復し、2012年からの3年間で事業の倍増を実現した。
今、ブラジル経済は未曾有の経済不況に見舞われており、保険市場もその例外ではない。成長性の鈍化、収益性の悪化は主要な保険会社を全て直撃しており、ブラジル東京海上もまた新たな苦難に直面している。
しかし、ブラジルという世界有数の将来性を秘めた巨大な市場において、我々は日本発のブラジル企業として、国また市場の成長に微力ながら貢献し、従業員やお客様と共にこれからもチャレンジし、挑戦し続けて行く。
ソース:http://megabrasil.jp/20170102_33311/
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